2019年7月2日火曜日

ウズベキスタンぶらぶら旅 ブハラー2

昨夜は酷い目に遭った。
暑くて寝苦しいので目が覚めた。エアコンが止まり、部屋も真っ暗。街全体が停電だった。
時間は、午前3時ごろ。

我々は山登り用のヘッドランプを持参しているので、それを点けて待つこと一時間。
ようやく回復した。
やれやれ と思った矢先、再び停電した。

午前5時ごろ中庭に下りると、自販機など点灯しているではないか!

そうだったのです。
2回目の停電は、我が部屋だけブレーカーが落ちていたのです。


散々な目に遭ったが、早朝から昨日の続きを観光する。

日中は暑いので、その時間帯は昼寝する予定だ。


宿舎から西北西にあるアルク城まで徒歩約30分。
正面に回ると、大きなイベントが。


今日は”国際オリンピックデー”だとのこと。
老若男女たくさんの人が参加していた。
ウイークデーなのに子供達がたくさん参加しており、不思議に思って訊いたら、6月から8月は夏休らしい。


混雑を避け、
アルク城向かいのボロハウズ・モスクから観光。
クルミの木に彫刻を施した入り口の柱は見事。

オアシスの都と言われるだけあって、水は豊富。

広大なサーマーニーズ公園を歩いて、
イスマイール・サーマーニ廟へ。

同側面。
小さな廟だが、内部の壁面、天井が素晴らしい。




イベントが終わったようなので、アルク城に戻り入城。
入り口近くのジャミー・モスク。
このモスクの天井も素晴らしい。



城内の様子。
建物の多くは博物館になっており、





中には日本の壺も展示。


最後は、アルク城の王様になった気分で、



その後、宿舎に戻って、遅い朝食を摂ってから昼寝した。


◆日本人墓地参拝
午後4時ごろ再び街へ出た。
屯しているタクシードライバーに、日本人墓地を知っているか訊ねると、たいてい仲間内の誰かが知っていた。

エアコン付きのドライバーと値段交渉になったが、言い値の15万スムを7万スムまで値切って交渉成立。
この値段交渉(値切り)が一番楽しい!

同墓地はブハラ市の隣町カガン(Kogon)市の郊外。
タクシーで30分くらいかかる
道中、ドライバーに物価など色々聞いてみた。
交通違反では
 信号無視:us$50
 スピード違反(70~100km/hまで):us$25
    同  (100km/h超):us$50
不動産価格
 戸建て住宅(床面積140㎡):us$30,000
 マンション(床面積62㎡):us$20,000
新車価格
 シボレー us$9,000~us$15,000
 ウズベキスタンGMの車でシボレーブランド。
 国内シェアーは圧倒的に多い。


こんな話をしている内に日本人墓地に到着。

Kogon(カガン)市の郊外にあるので、地の果てに在る様な錯覚を受ける。

1945年大東亜戦争敗戦とともに、ソ連に不法抑留された日本人の内、159名の方々がここに眠っておられる。

墓碑は風化して文字が読みにくい。
日本語のお名前は良く見ないと分からない。
対面にウズベク語(ロシア語?)の墓誌が。



お墓には番号のみが振ってあり、個人名は無い。

現地語の墓誌から日本人名を知るのは非常に難しい。
現地の女性に墓誌の名前を読んでもらったが、発音が違うので、日本人名を連想するには至らなかった。


我々は、墓碑の前で念仏を唱えてお参りした。
私の父親と同年齢の方々だけに他人事とは思えない。
因みに、父親はフィリピン(第十四方面軍)で戦死。


タシケント日本人墓地のBlogはここをクリック




明日のBlogへ続く




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