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Naomiちゃんと、彼女の友人二人招いて、人と防災未来センターで防災研修を行った。
三人とも、あしなが育英会の招きで神戸を訪れている海外の大学生で、国籍は、ドイツ、中国、イギリス↓。
何れの人も、地震の無い国から来ており、母国で地震の体験は無いが、4階の映像や、3階の写真を興味深く見ていた。
マグニチュードを視覚的に理解する模型の前で、
彼女たちは、東日本大震災の被災地(陸前高田)も訪れており、震災に関する予備知識が有ったので、ここの展示内容も比較的受け入れ易かったと思う。
東館一階のシアターで、東日本大震災の津波の3D映像を見た後、正面で記念撮影。
(中国人のMiちゃんは用事があって先に帰った)
16日に広島災害ボランティアに行った際、神戸新聞社 社会部記者のTさんが同行取材しており、その記事が今日(9/20)の朝刊に載ることを予告したが、その通りになった。
神戸新聞を購読して無い事をBlogに書いたところ、親切に、神戸市社協のHさんが、記事のコピーをEメールで送ってくれた。
記事は、社会面に五段抜きの見出しで大きく掲載され、私の事も、下の方に少しだけ触れられてあった。
↓神戸新聞 2014年9月20日
(画像をクリックすると拡大します)
紙面の文字数が限られる中、さすがTさんはプロ。
当Blogと同じ内容の記事が幾つか掲載されているが、私の駄文とは異なり、簡潔に上手くまとめられている。
昨夜(9/18)、Naomiちゃんから突然メールが入り、明日時間がとれるので会いたいと言ってきた。
神戸に来ることは以前から訊いていたが、少なくとも数日前に連絡があり、日程調整すると思っていただけに少し慌てた。
私は、午後1時30分まで予定が詰まっていたので、2時半に最寄り駅まで迎えに行く。
彼女とは約一年半ぶりの再会だ。
少しだけ痩せた感じ。
彼女は、あしなが育英会の招きで日本にやって来たもので、同会のインターンシップ・プログラムに参加している。
既に、関東で活動し、陸前高田市にも行き、被災者との交流も深めたらしい。
彼女はオックスフォード大の3年生なので、イギリスに来月帰国したら、卒業論文の準備にとりかかるとの事。
卒論のテーマは、日本の茶道で”ワビ”について勉強すると言っていた。
そんな話をしていたら、アッと言う間に時間が過ぎ、夕食となったが、ハタと困った。
彼女はベジタリアンだったのだ。
そこで、元町の豆腐料理専門店に連絡し、コース料理を特別メニューに変更するよう交渉し、同店に出かけた。
彼女だけ特別メニューは可哀想なので、我々も一緒の料理にしたが、豆腐尽くしで、我々にとっては刺身や肉が含まれない料理はイマイチだった。
神戸市社会福祉協議会から広島集中豪雨被災地への日帰りボランティアバス(ボラバス)が運行されたので参加した。
県外のボランティア受け入れが9月4日から始まったので、神戸からのボラバスもそろそろかと思っていたところ、東灘区ボラセンからEメールで知らせてくれたので即応募した。
午前6時過ぎに集合場所(中央区役所前)に着くと、神戸社協のHさんがニコニコしながら、「3回目ですネ」と声を掛けてくれた。
Hさんとは3年ぶりの再会で、石巻市と那智勝浦町に行った記憶がよみがえってきた。
ボラバスは午前6時20分ごろ出発した。
広島までの所要時間は4時間ほどかかる。
現地に近づくにしたがって、山肌を大きな爪でひっかいた様な、土砂崩れの跡が見える。
(画像をクリックすると拡大します)
我々に活動を求められたのは、広島市安佐南区の八木地域。
先ず、現地ボラセン”八木サテライト”に入る。
徒歩で活動場所に向かう。
途中の看板。
被災前の街並み
被災後
(Photo:PASCO)
側溝の泥だしから作業開始。
側溝内は手作業でしか作業できない場所で、ボランティアの持ち分となる。
ここの道路突き当りの家は、山裾にあったので、家屋が土砂で押し流されていた。
それを取り除くため、重機で作業している。
地元報道機関の取材も受ける。
昼休みに山裾の被災地を歩いた。
↑昨日、片付けが終わったらしい。
午後からは、庭に溜まった泥だしをした。
重機の入らない場所で手作業で行うしかない。
上流から流れついたもので、中には、ご家庭の保存文書の束や、写真集も土砂に埋まっている。
従って、慎重に作業し、思い出に繋がる品は丁寧に拾い上げ、持ち主に戻すようにする。
それらの持ち主は、ここよりヅーッと上の家だろう。ひょっとすると亡くなって居るかも知れない。
庭の泥だし作業はきつかった。
泥の中に、前述の品のほか、瓦礫も交じっている。
その為に、スコップが刺さらない。
悪戦苦闘を見かねたのか、地元ボラセン担当者から、午後2時半で作業終了の指示が出た。
作業時間が短かったので、達成感に欠けたが撤収した。
最後に記念撮影した。
◆今回の総括
自動車で広島まで片道4時間かかる。
早朝に出発したが、作業開始が午前11時となり、午後2時半に撤収したので、昼休みを除く実質作業時間が2時間半しか無く、達成感を得ることが無かった。
那智勝浦町の場合は、神戸を前夜に出発し、仮眠の後、午前9時から午後3時まで作業したので、成果も上がり、達成感があった。
従って、次回は日帰りを止め、前夜出発を提案したい。
◆余談だが
今回のボラバスに神戸新聞社 社会部記者のTさんが同行取材していた。
取材がメインだろうが、新品の長靴でボランティアも懸命にこなし、貴重な戦力となった。
Tさんの記事は、災害から1ヶ月となる9月20日(土)の朝刊の載るらしい。
我が家は、同紙をとって無いので読むことが出来ない。何方か、気付いたら、同紙を取り置き、知らせて欲しい。
◆もう一つ余談だが
神戸市社協の同行スタッフに前述のHさんが居た。
3年前、石巻市や那智勝浦町に同行した仲で、その時は頼りなく、イライラとさせられる事が多々あったが、3年の間に大きく変わり、今回の言動は、自信が満ち溢れ、立派に職責を果たした。
若い人の成長を見るのはうれしい。
人と防災未来センター1階ホールで東日本大震災 記憶の模型展が開かれている。
この模型は、神戸大学が中心となり、全国複数の建築系研究室の協力のもと、造り上げたらしい。
展示模型は3地区からなっており、
陸前高田
【動画】
全画面表示はこの上をクリック↑
志津川
【動画】
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気仙沼
単なる復元模型では無く、被災した人たちの記憶もとどめている。
(↑昭和35年のチリ津波の記憶もある)
被災地で、地域の方々が、模型に色を塗り、思い出の場所に旗を立てた。
従って、”失われた街”から記憶がいっぱい詰まった”思い出の街”になった。