厚生労働省から、父の戦没地が判明したと連絡があった。
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フィリピン ルソン島のルブアガン(Lubuagan)らしい。実は、父の墓石に刻まれている地名は別の地名で、その地名を探して約50年になるが、幾ら探しても見つける事が出来なかった。
父と同じ部隊に所属し、同時期に戦死したご遺族を訪ね、その方の戦没地を確認したりもしたが、全く手掛かりが掴めなかった。
また、東京の昭和館や靖国偕行文庫に問い合わせても判明せず、半ば諦めていたが、今回、厚生労働省がフィリピンの旅行社に問い合わせたところ、墓石に刻まれていた地名は、現地人が昔呼んでいた地名で、現在はルブアガン(Lubuagan)と呼ぶことが判明した。
この地名は、靖国偕行文庫の調査結果とも一致する。
同文庫も、墓石に刻まれた地名を特定できなかったが、父が所属していた部隊の行動地域を調べ、戦死日当時の戦況の推移などから推論として出してくれた地名がルブアガンだった。
今回、双方が一致したので、ルブアガンを父の戦没地と決定しようと思う。
没後、80年目に特定できて、本当に嬉しい!
調べてくれた皆さんに感謝!
これで、今週からフィリピン慰霊の旅でトゥゲガラオ(Tuguegarao)まで行くので、最寄りの地で慰霊祭を行いたい。
帰国したら、墓石に刻まれた没地名の修正をしなくてはならない。