今日はマニラからトウゲガラオへ飛び、そこから観光バスでルソン島北端のアパリまで行く。
マニラからトウゲガラオまで飛行機で1時間ちょっと
長い行程だった。
トウゲガラオ空港は地方空港
滑走路を歩いて到着ロビーへ向かう。
国道5号線らしいが、高速道路でないので時間がかかる。
ララウーガン辺りで慰霊祭。
アパリでも慰霊祭。
アパリは日本軍が台湾からの補給基地にしていたらしい。
今日は風が強く、曇り空で時々雨も降る悪条件。
明日のBlogへ続く
旅行、トレッキング、登山、園芸、ボランティアなどでスローライフをおくる。 一年の内、半分を日本で、残り半分をニュージーランド(NZ)で過ごしていた頃始めたブログです。 うはらの郷とは、古くは芦屋市から神戸市東灘区周辺(説では夙川から旧生田川まで)を莵原と呼ばれていたことに由来します。
今日はマニラからトウゲガラオへ飛び、そこから観光バスでルソン島北端のアパリまで行く。
マニラからトウゲガラオまで飛行機で1時間ちょっと
トウゲガラオ空港は地方空港
滑走路を歩いて到着ロビーへ向かう。
ララウーガン辺りで慰霊祭。
明日のBlogへ続く
今日は移動日。
早朝の便でマニラ(フィリピン)へ向かう。
慌ただしく用意して、羽田空港T3へ
今日からフィリピン慰霊の旅が始まる。
一昨年の11月に続き2回目となる。
今回は、政府(厚生労働省)主催の慰霊の旅。無宗教での旅になる。
従って、事前の靖国神社参拝はないが、同旅結団式前に個人的にお参りした。
しかし、担当された方は、既に退職され、お礼を直接言えなかった。
後任の方に謝意を伝え、次いで、隣接している遊就館へ。
その後、結団式会場に行き、明日の早朝フィリピンに向かう。
厚生労働省から、父の戦没地が判明したと連絡があった。
実は、父の墓石に刻まれている地名は別の地名で、その地名を探して約50年になるが、幾ら探しても見つける事が出来なかった。
父と同じ部隊に所属し、同時期に戦死したご遺族を訪ね、その方の戦没地を確認したりもしたが、全く手掛かりが掴めなかった。
また、東京の昭和館や靖国偕行文庫に問い合わせても判明せず、半ば諦めていたが、今回、厚生労働省がフィリピンの旅行社に問い合わせたところ、墓石に刻まれていた地名は、現地人が昔呼んでいた地名で、現在はルブアガン(Lubuagan)と呼ぶことが判明した。
この地名は、靖国偕行文庫の調査結果とも一致する。
同文庫も、墓石に刻まれた地名を特定できなかったが、父が所属していた部隊の行動地域を調べ、戦死日当時の戦況の推移などから推論として出してくれた地名がルブアガンだった。
今回、双方が一致したので、ルブアガンを父の戦没地と決定しようと思う。
没後、80年目に特定できて、本当に嬉しい!
調べてくれた皆さんに感謝!
これで、今週からフィリピン慰霊の旅でトゥゲガラオ(Tuguegarao)まで行くので、最寄りの地で慰霊祭を行いたい。
帰国したら、墓石に刻まれた没地名の修正をしなくてはならない。
2月になり、柚子もソロソロ終わりに近づいた。
鳥たちも、酸っぱいのを敬遠して、実は梢にそのまま残っている。
柚子ジャムの作り方は、至って簡単。
◇材料は、
姫柚子:1Kg(無農薬栽培)
◇作り方は
柚子を半分に切って、果汁と種を絞り出す。
搾り終わった皮などを細かく切る。これが大変!
煮立ってきたら、果汁を全部加え、取り置きの包んだ種を入れる。
水を適宜加えても良い。
弱火で10分程度煮て、種を取り除く。
火を止め、蜂蜜(400g)を加える。
少し、しゃぶしゃぶであれば、弱火で更に煮込む。
熱い時しゃぶしゃぶでも冷えると固まるので、そのあたりが難しい。
◇我が家は、幸いにして、柚子も蜂蜜も自家製。勿論無農薬!
蜂蜜は、昨夏、日本蜂蜜が集めてくれたもの。
蜜蜂達に感謝しながらいただく。