2011年5月21日土曜日

被災地支援 ボランティア バス情報


◆ボランティア バス情報◆
(写真は行き先とは関係ありません)

尼崎医療生活協同組合が被災地支援ボランティアを募集中です。

◆行き先:宮城県亘理郡山元町

◆とき
 ①6月3日(金)19:00 ~ 5日(日)20:00(現地で一泊)
 ②6月10日(金)19:00 ~ 12日(日)8:00
 ③7月1日(金)19:00 ~ 3日(日)8:00

◆募集定員
 ①30名
 ②③40名

◆参加費
 ボランティア活動保険料 300円(既に加入済みの人は不要)
 バス代、①の宿泊料共に無料

◆申し込み先
 電話 06-4962-4920

◆主催
 尼崎医療生活協同組合

◆出発時集合場所
 同医療生協前(JR立花駅から線路沿いに西に歩いて15分)

◆その他
 何れもバスは1台です。(座席はひとり1席)
 ①の宿泊は、現地生協の大広間、寝袋持参が望ましい。
 どこにお住いの人でも参加できます。
 詳しくは尼崎医療生活協同組合 のHPを参照


◆参加をためらっている人に◆
もう歳やから・・・とボランティアを諦めている人はいませんか?
前2回のボランティア体験から申しますと、豊富な知識と経験に富んだ熟年者が一番頼り甲斐があり、若い人をリードしながら立派に活動しておられました。

高齢の被災者はボランティアを待っています。
時間と少しだけ体力に自信のある人は参加されたら良いと思います。(ウオーキングで7,8㎞も歩ければ大丈夫)



2011年5月18日水曜日

大震災(大津波)東松島市・石巻市 支援 活動報告


壊滅的な被害を受けた分浜(わけはま)での作業も終了時間に近づいた。


この辺の地盤は1mほど沈下したらしい。
満潮時には堤防内も水没する。

午後3時に作業を終了した。
先行してボランティア活動をしていた団体と別れの挨拶を交わす。
皆が汗と埃でドロドロなっていたが、手を洗うこともなくバスに乗車し帰路についた。

昨夜、大広間に参加者の有志が車座になり懇親を深めたとき、帰路に温泉がある道の駅に寄ってリフレッシュする案や、特産品を買って少しでも地元(被災地)を支援したいと熱い思いをスタッフに伝え、道の駅に寄ることを要望したが、全て却下されていただけに、諦めてバスのシートに横たわる。

しかし・・・我々の要望に対して、協議することも無く、一言に却下するスタッフには唖然とした。
木っ端役人が民間人を虫けらのように扱っているようで、気分が悪い。

ひょうごボランタリープラザにこんな人がいるのか と ビックリしたが、後から聞いてみると、やっぱり県からの出向やった。
縦社会に生きる融通の利かん木っ端役人やぁ~~


ボランティアは横社会で、どんな事にでも臨機応変に対応でけんだら、あかんのに、こんなんがスタッフにいたら、どうにもならん。
社会福祉協議会への県職員の出向をやめて、柔軟な頭脳を持つ人材を育てなんだら、ボランティアなどでけん。

◆今回の総括◆
被災地ではボランティアが不足している。
機会があればまた行きたい。しかし、県のボランティアには二度と参加したくない。

実働2日間で、それなりの成果は上がったが、無駄な時間があったり、段取りの悪さで、悔いが残るところもあった。

16日のブログ にも書いたが、泉PAのインフォメーションセンターに全員が寄ったのは大きな時間のロスだった。

初日などは段取りが良ければ、もっと成果が上がったと思う。
また、別のグループのスタッフは道具の事前確認業務を怠り、現場作業終了時に道具数の確認が行えなかった。
「親方日の丸」丸出しやぁ~~

帰路のバスは予定より早く神戸に到着することになり、吹田SAで1時間の時間調整をしたが、こんなことになるんやったら、被災地の道の駅に寄って温泉に入ってサッパリし、特産品を買えば良かった。


◆これからの支援◆
息の長い支援が必要。
それには、現地(被災地)の産業が立ち直るように支援するのも一つの方法で、被災地の土産品を買うなど、我々にできることから始めたい。


◆謝辞◆
12日のブログ を見てくれた人から土産品の注文を頂いた。
「かもめの玉子」や「いぶり牛タン」などたくさん買ってくれて
ありがとうございました。

バスの運転手さんも我々と共に泥だしのボランティアをしてくれた。
日交バスの運転手さん ありがとうございました。





2011年5月17日火曜日

大震災(大津波)石巻市雄勝町 支援 活動報告


今日(5月15日)は石巻市雄勝町に向かった。
雄勝町は石巻市街から東北東にあり、女川原子力発電所の北側にあたる。(画像をクリックすると拡大します)
浜側の道路は通行止め個所があるので、遠回りだが北上川の右岸を下ることにした。

北上川の河口に近づくにつれ津波被害がだんだん大きくなる。

田んぼは作付けができない。北上川の堤防が決壊したらしい。

石巻市雄勝町上雄勝にバスは入った。


何も無い!

建物の基礎部分だけが残っている。右の写真の白い建物は市立雄勝小学校。2階も水没した。画像をクリックすると拡大します。

 ↑右手後方の茶色い外壁は市立雄勝中学校

↑海洋センター

改めて津波の恐ろしさを見せられて、身震いを感じた。

目的地、雄勝町水浜に到着した。


ここも何も無い!

低い土地の住宅は全て流されている。
海抜は1.5m~2m程度か


↑坂の上の住宅の1階床上まで津波が来た。↑高さは10mくらい。
下の住宅は屋根の棟まで水没したが流されることがなかった模様。

ここでの活動は浜辺の漂流物を片付けて、重機を通すための進入路作り。
漂着物のほとんどは家屋の材木で、屋根がそのままの形であったり、大きな梁や柱などが足の踏み場もないほど散らばっている。
それに、漁網が絡まって作業は難航した。

しかし、18名のマンパワーは凄いもので、午前中にほぼ完了した。


我々が作業しているすぐ前には転覆した漁船が漂っている。


午後2時から隣の分浜(わけはま)地区へ応援に向かう。


小さな集落だが、ほとんどの家屋が津波で流されたり、大きな被害を受けている。 (画像をクリックすると拡大します)

屋根の上の漂着物で、津波の波高がよくわかる。


沖で漂う住宅。綺麗な海だけに、余計に心が痛む。


水浜と分浜の間で古いサイレン塔を発見した。

1960年5月23日04:11に南米チリ共和国でM9.5の地震が発生し、それに伴い発生した津波が1日近くかかって日本に押し寄せた。
津波の波高は最大6.3mで三陸地方沿岸で142名の犠牲者を出した。

このサイレン塔は、その津波を記念して建てられたもの。
当時の記録では、女川湾での波高が3.8~5.4mだったから、この地域にもそれに近い津波が押し寄せたと思われる。
人々はその教訓を生かして、なぜ高台に住まなかったのか、今更ながら悔やまれる。





2011年5月16日月曜日

大震災(大津波)東松島市 支援 活動報告


先週に引き続き被災地支援ボランティアに参加した。

今回は、「兵庫県社会福祉協議会ひょうごボランタリープラザ」(長い名前やぁ)の募集に応募したもの。
しかし、役人は何でこんな長い名前を付けるのかなぁ~~
まぁ・・・ヒマな人が多いから名前が長ごうても不便せんのやろ。

5月13日(金)朝7:30から受け付けが始まった。
受付でブルー色のウインドブレーカーと茶色の帽子を只でもらった。

その後は、お決まりの出発式。
ウインドブレーカーと帽子をかぶらされて、全員が神妙に並ぶ。
ここんなウインドブレーカーを着て泥だし作業など、とても暑くてできない。
家に持って帰っても着る機会もない。税金の無駄遣いや!
(帽子は楽天イーグルスがお金を出してくれたらしいが)

神戸市社会福祉協議会から行ったときはゼッケンだけやった。
この方が暑くないし、地元の人にも何処から来たボランティアかよく分かる。それに、安上がりや!

こんな無駄金があるんやったら、被災地に現金を渡すほうが、よっぽど有効や!
行く前からこれでは、先が思いやられる。

◆余談だか
出発時にNHKとサンTVが取材に来ており、双方からインタビュー取材を受けた。どうも、今回参加者の最高齢者と見られたらしい。インタビューの最後に年齢を聞き、最高齢でないと分かると、肩を落としてガックリしていた。(最高齢者は75歳)

夜のNHKテレビの兵庫版ニュースを見た人から、「テレビに出とったで」と携帯メールが入ったので、最高齢者でなかったけど放映してくれたことが分かった。

今回のボランティアは67名で、その内女性は15名いた。
朝8時に神戸を出発して、午後9時ごろ宿舎(岩沼屋)に到着した。

この旅館は老舗の旅館で創業は寛永2年(1625)らしい。


14日(土)バス4台で東松島市に向かう。

途中、東北自動車道 泉PA内の兵庫県が運営するボランティアインフォメーションセンターに全員が立ち寄った。

このセンターは明日(15日)閉鎖するらしい。そんな処によっても意味がない。
メンバーに対して、兵庫県はこんな事をしているという、ただのパホーマンスに付き合わされただけ。(全員がウンザリする)

無駄に時間だけが経過して、作業開始は10時を過ぎてしまった。
午前の作業は建物周囲(庭)のヘドロ出し。2つの班10名で作業した。

作業後、すっきりとした敷地と道路わきに出したヘドロの山。


近くの公園で昼食をとり、記念撮影した。
ウインドブレーカーは作業性が悪く、着ると暑いので作業中は脱いでいたが、この時だけ着た。


帰路の車窓から見た風景。

農地(田んぼ)が津波にやられて作付けなどできない。
田んぼの真ん中に津波で運ばれた住宅があったり、自動車が至る所に転がっている。
こんな風景が延々と続く。(写真をクリックすると拡大します)
所々で、行方不明者の捜索活動もしていた。



明日は、津波被害が生々しく残る(まだボランティアの手が入ってない)地域でのボランティアです。



2011年5月12日木曜日

大震災 石巻市(被災地)支援 活動報告-4


この写真は昨日バスの車窓から撮影した仮設住宅

(画像をクリックすると拡大します)
木造在来工法で建設中だ。(画像をクリックすると拡大します)
最初見たときは仮設住宅とは思わなかったが、基礎部分が木杭なので、仮設住宅だと分かった。

プレハブ住宅が不足したか、地元の大工さんの仕事を増やす配慮か、このような現場は幾つもあった。


街の中には、このような光景は至る所にある。早期の復興が望まれる。



(画像をクリックすると拡大します)

これは、製紙工場へのJR貨物 引込線。

航空写真(Google)でも貨車が脱線しているのが写っている。
(上の画像の赤枠内)

午後3時半になり今回のボランティア活動を終了した。
バスが待つ「やまとの湯」駐車場で一同記念撮影をした。
達成感(?)からか、皆さん良い表情をしている。

その後、バスに揺られて神戸に向かったが、途中、温泉のある道の駅に立ち寄り、一風呂浴びてサッパリすることが出来た。仕事中は頼りないリーダー(スタッフ)やったけど、このサプライズだけは評価できる。

◆ボランティア不足◆
5月の連休が終わったらボランティアさんが減ったらしい。
仕事は幾らでもあるので、ボランティアに来てほしいと、現地のボラセンは言っている。

◆体力勝負?◆
今回のボランティア募集時に「重労働 体力に自信のある人」などの条件が付いていたので、高齢者が参加することに躊躇したが、終わってみると何のこともなかった。
むしろ、豊富な知識や経験から60代の人が一番頼り甲斐があり、活躍したと思う。
腰痛の危険がある人は、重いものを持つときは、若い人が代わるなどグループ内での思いやりも生まれて、楽しくボランティアができた。
体力的には、7,8Kmのウオーキングが出来る人なら、まず大丈夫と思われる。

◆リーダー(指揮官)について◆
スタッフが各グループのリーダーになったが、道具の名前すら分からないような素人がリーダーとなったので、最初からもたついた。
精通した人がリーダーとなり、的確な指示を出していたら、作業がもっと迅速に進んだと思う。
ボランティアといえども、成果を上げることを目的に来ているのだから、結果に物足りなさを感じる人が多かった。


◆このブログを見てくれた皆さん◆
宮城県には
「笹かまぼこ」や「牛タン」などおいしい土産品がたくさんあります。
被災地支援のために東北の土産品を買いましょう。


◆13日から再度被災地へ◆
私は13日から再度宮城県東松島市と石巻市にボランティアに行きます。
土産品を欲しい人はEメールで品名や個数、住所、電話番号を今日(12日)中に知らせてください。
現地から宅配便の代引きで 送るように手配します。


◆10日のブログ を見た神戸の人から、「岩手の『かもめの玉子 』6個入りを○○個買ってきて」と早速注文を受けた。
ネットで調べると、4月25日から営業を再開したらしい。うれしい限り!

石巻市(被災地)支援 活動報告は今回で終ります。
来週ボランティアから帰るまでブログは休みます。


◆追伸
被災地で発注した土産品が宅配便で届いたと堺市の女性から連絡があった。
中でも、燻り牛タン(ペッパー味)が絶品で、更に欲しいと30個の追加注文を受けた。ありがたい限り!