2011年7月18日月曜日

パソコンの整備

ボランティア活動として、高齢者向けにパソコン教室を開催しているが、インターネットに接続して授業を行う場合は、前もってパソコンの整備をする。

パソコン教室は3ヶ月を1クールとして年3クール(27回)開催している。

各クールが終了したら一斉に整備をするが、新クールが始まっても、インターネットに接続する授業は2ヶ月経過した頃にあるので、パソコンは約3ヶ月インターネットに接続されない状態が続く。

そのままインターネットに接続すると、自動アップデートが授業中に突然始まって、そのパソコンでは授業が受けられないことになる。

それを防止するために、インターネットやメールの授業1~2日前には必ずパソコンをネットに接続して全てのソフトをアップデートする。
パソコンは10台あるので、並べて一斉に整備する。

VistaパソコンにはWindows7も入れてデュアルブートにしてあるので、整備するのは15台になる。

Vista(Win7)パソコンは無線LANが内蔵されているのでネット接続は楽だ。

XPパソコンは有線で繋ぐことになる。


主なアップデートはウインドウズとセキュリティソフトのパターンファイルだ。パターンファイルの更新が終わると、パソコン内のウイルスチェックを行う。


前回のパソコン教室で、ネット接続で不具合が出た報告があったが、今日繋いだ時には何も不具合は生じなかった。


ウィンドウズ アップデートは、一回で完結にはならないので、ダウンロード→インストール→再起動→更新プログラムの確認 を数回繰り返す。

Windows7はService Pack1になって、整備作業はようやく終わった。


整備時間は3時間半。1週間前にも整備し、その時は一日かかった。




2011年7月17日日曜日

ミニ コンサート

15日(金)の昼過ぎ 尼崎商工会議所に寄ったら1階ホールでミニ コンサートをしていた。

出演は「あまゆーず」の二人。

メジャーではないが、尼崎ではチョット知られている。





「あまゆーず」は共に尼崎市出身で、元は保育士だった。

まぁ・・・そんなことで、FM大阪や地元FMあまがさきなどではレギュラー番組を持って頑張っている。

1階ホールの一角には喫茶コーナーがあるので、食べながらコンサートを聴くことが出来き、豪華な昼食となった。



2011年7月16日土曜日

献血啓発活動

今日は市尼の文化祭だ。(市尼:市立尼崎高等学校)
毎年文化祭で高校生に献血啓発活動を行っている。

少子高齢化に伴って献血人口が減少しているので、若者にターゲットを絞って啓発し、将来献血リピーターになってもらうのが狙い。

今年の4月から400ml献血の年齢制限が17歳(男子)に引き下げられたので、主にそれをPRし、献血啓発につなげるためのアンケート調査を実施した。

今年はレオクラブのメンバーも応援してくれた。
      ↓ レオクラブの皆さん

  ↑ レオクラブの皆さん

↓ アンケートを書いてくれた生徒に渡した記念品。

↓ 献血啓発パネル展示コーナー お母さんたちも見に来てくれた。
日赤 塚口献血ルームからも展示解説の応援に来てくれている。

最後に記念撮影
約3時間の活動でアンケートは230件集まった。

この啓発活動は 息の長い 活動だ。

すぐに成果は表れないが、生徒たちが進学先や就職先で、今回のことを思い出し、献血してくれることを願っている。



2011年7月13日水曜日

祇園祭

今日(13日)は祇園祭を見に行った。

京都の奉仕団体から招待され、鉾の曳き初めを見学し、鉾の上にも載せてもらえる事になっていた。

こんな機会はめったに無いので、我がクラブからも数名が参加した。

今日の京都は暑かった。
午後2時に「四条京町屋」に集合し、菊水鉾の世話人から祇園祭について詳細な説明を聞いた。

その後、新町通りで曳き初めを見学した。(新町通りは南北の通り)

 ↑ 新町通りの放下鉾(ほうかほこ)

 ↓ いよいよ曳き初めが始まった。

 ↑ 新町通りの放下鉾(ほうかほこ)
放下鉾は、四条通りよりも北側なので、南(四条通り)に向かって進む。

 ↓ 新町通りの船鉾(ふねほこ)


 ↑ 新町通りの船鉾(ふねほこ)
船鉾は、四条通りよりも南側なので、北(四条通り)に向かって進む。

四条通りで北からの鉾と南からの鉾が正面衝突することになるが、お互いそこから元の町内へ引き返す。

 ↓ 新町通りの岩戸山(いわとやま) 船鉾の南側にある

 ↑ 新町通りの岩戸山(いわとやま)
岩戸山は鉾と同じような車輪がついている。

 ↓ 室町通りの菊水鉾(きくすいほこ)

 ↑ 室町通りの菊水鉾(きくすいほこ)
舞台へ登る客は絶え間なくやって来ていた。

祇園祭には「山」と「鉾」があることを初めて知った。
「山」は肩に担いで練り歩き、車輪で転がしてゆくのが「鉾」らしい。

しかし、岩戸山のように「山」にも車輪を付けたのがあって紛らわしい。
裕福な町内は車輪を付けたと菊水鉾の世話人は話していた。

「山鉾巡行」は例年17日に行われる。今年は日曜日なので、もう一度行ってみたい。




2011年7月9日土曜日

被災地支援(4)気仙沼-3

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関西を発つときは雨が降っていたので、天候の心配をしていたが、今日(9日)は良い天気になりそうだ。(昨日も雨は降らなかった)

気仙沼は道路が狭いので、大型バスが入れない。そこで、現地のボランティアセンターでは、マイクロバスを用意して、それでボランティアを送迎している。 


マイクロバスも色んなところからの支援で運営が出来ているようだ。

今日の活動地域は昨日と同じ大浦地区。

昨日の活動地点から少し南に下がったところの宅地と畑のガレキ撤去。
ぬかるんだ田んぼよりは作業が楽だ。

だが・・・ がれきの量は半端ではない。
おまけに気温がだんだん上がってくる。
↓ Before

しかし10数名のマンパワーは凄いものがある。すべて手作業で撤去した。
↓ After
午後2時過ぎに、今日の活動は終わった。

最後に記念撮影を撮る。
皆さん達成感、満足感で良い顔をしている。

この後、
九州から来ていた熟年のボランティアと話す機会があった。聞くところによれば、往復の運賃だけ地元(九州)の行政が負担して被災地に2週間の予定で送りこまれたらしい。2週間すると交替する。皆さんリタイアされ年金生活者だ。年金生活者は経済的には安定しているので、被災地で存分にボランティア活動が出来ると話していた。

私の知人(75歳)も7月8日から2週間の予定で宮城県山元町に行った。既に1週間のボランティア活動とテント生活を経験しているだけに今回の活動には支障がないだろう。

元気な熟年者ボランティアに拍手を送りたい。


◆今回の総括
今回もボランティアは非常によく活動した。
昨日などは、ぬかるんだ田んぼで、全身泥だらけになりながらも活動した若いボランティアにも拍手を送りたい。

同行スタッフについては、
素人なので物足りなさはあるが、前3回のスタッフに比べると、今回のほうがズ~ッと良かった。
(及第点かなぁ~~)


だが・・・ 反省点もある。
①現場作業は幾ら暑くても長袖シャツ着用が鉄則であるが、それを周知しなかった点。(半袖だったので、擦り傷を負ったものがいた)
②次につなげるためのアンケート調査を怠った点。





2011年7月8日金曜日

被災地支援(4)気仙沼-2


気仙沼は、地震による被害はほとんどなかったが、津波と大火災で壊滅的な被害を受けた。

↓市街地の様子

大火災は、津波で流されたタンクが破損して、漏れ出た重油に引火して大火災になったもの。

↓気仙沼市大浦地区


完全に焼け爛れている。(気仙沼市大浦地区)

地元の人の話によると、火災は消火作業などできず、燃えるに任せ、自然鎮火を待ったと言っていた。阪神淡路大震災を思い起こさせる。
市街地の火災は、鹿折(ししおり)地区で約10hr。
我々が活動した大浦地区も浜に近いところは焼失していた。

また、林野火災は、大島で約100hr。大浦地区で約75hrだったらしい。


第一日目がようやく終わったが、田んぼに溜まったヘドロと格闘したので、全員がドロドロになっていた。

宿舎のある一関市に戻った。
ここまで内陸に入ると、大震災とは無関係のような感じ。

↓JR 一ノ関駅

平泉が世界遺産に登録されたことを祝って街にはのぼりなどが目立った。


ここの郷土料理はお餅らしい。そこで「もち膳」を注文してみた。
昔はお客が来たら、餅をついて客をもてなしをした。そこからこの料理が生まれたと、店の主人と思しき年配の男性が丁寧に説明をしてくれた。





2011年7月7日木曜日

被災地支援(4)気仙沼-1


尼崎市社会福祉会が募集したボランティアバスに参加して、7月7日から宮城県気仙沼市に向かった。

募集条件は①尼崎市民、②尼崎市在勤者など だったが、所属する奉仕団体が尼崎だったので、神戸市民の私も参加することが出来た。

(写真をクリックすると拡大します)
バスは一台で、参加したボランティアは19名。スタッフ3名と共に尼崎を19時出発し、翌日の8時過ぎに目的地に到着した。
所要時間は13時間ほどで、少し強行軍だったが、ボランティアには一人2座席が用意され(スタッフは一座席)助かった。

気仙沼市民健康管理センター前に設けられた仮設のボランティア登録受付所には外国人の姿も見られた。

ボランティアに来てくれるぐらいだから、日本語が出来るだろうと「どちらから来られたのですか?」と聞いたが通じない。
そこで、流ちょうな(?)英語で聞いてみると皆さんアメリカから来てくれて、一週間ボランティアをしてくれるらしい。

頭が下がる思いとは、正にこの事。
最後に、世界遺産に登録された平泉(中尊寺)はここから近いので、ぜひ観てから帰ってくださいと言って別れた。

第一日目の作業は田んぼのガレキ出し。
昨夜まで雨が降っていたので田んぼはぬかるみ、最悪のコンディション。

鉄骨プレハブ2階建てが漂着しており、解体に取り掛かるが、道具が不足しており、思うように行かない。

作業開始早々、一人がぬかるみに足をとられて、怪我をする始末。
かすり傷のようだったが、社協の担当者は大事に至ることを恐れて、現地医療スタッフの派遣を要請した。

それでなくても忙しいのに、ナース3名が駆けつけるなど、余分な仕事を増やして、ホンマに人騒がせやぁ~~   この先が思いやられる。