2011年3月31日木曜日

NZ クライストチャーチ地震-2


クライストチャーチに住む娘婿からメールが届いた。

パームス モールの被害写真。
このモールは市中心部から約4Km離れたところで、娘の家から車で5,6分。

新しく、規模の大きいモールで、2階には映画館もある。

週に2,3回は買い物に行ったところだけに写真に写った場所がどの辺りか分る。

ここはスーパー内部

スーパー内部で地盤が液状化して砂が吹きあがった。


ここはモールの通路部分でファーマース(百貨店)の入り口付近。


専門店の内部


ファーマースの2階か?


屋外 駐車場側から撮影

この写真から判断すると、ダメージは大きく、店舗再開までには相当の時間がかかると思われる。

一日も早い復旧を祈っている。



2011年3月30日水曜日

東日本大震災 支援物資


所属している世界的な奉仕団体から 緊急物資支援 の要請が届いた。

被害を受けた東北地方、北関東地方の団体から、関西の団体に緊急要請が来たもので、所属するメンバーは物資を各自が購入して、各クラブ事務局まで届ける事になった。

要請された物資は、粉ミルク、カップ麺、生理用品、家庭用医薬品、紙おむつなど。特に、粉ミルクとカップ麺を欲しいと言ってきた。

そこで、神戸市内のスーパーなどを回り、販売状況(商品の有無)を調べてみた。

粉ミルクは潤沢に販売されていた。

しかし、一人2缶までと販売制限がかかっていた。

カップ麺も潤沢に並んでいた。



こちらも、一人5食までの販売制限があった。

水売り場。商品は棚に並ぶが、直ぐに売り切れになるらしい。
時間帯を変えれば買う事が出来る。

販売制限は2リットルまで。

これを見れば、物資は出回っているが、買いだめを防止しているように思える。

私見ですが、支援物資を被災地に大挙送るのは如何なものかと思う。
(とりあえず、粉ミルクを購入してクラブ事務局に届けたが)
関西地方だけで会員数は14700人以上いるので、集まる物資の数は半端ではない。
それを仕分けして発送し、受け取った方でも仕分けして被災者に配る事になる。
それらの手間を考えると、物資で支援するよりも、現金で支援する方が効率が良い。

新潟県中越地震の支援で一週間現地でボランティア活動した経験を話せば、支援物資の段ボール箱は体育館に山と積まれていたが、一週間の間は仕分けされる事が無かった。

その後、どうなったか分らないが、被災者に渡らずに、焼却処分された物資がたくさんあったと思う。焼却処分に税金が使われる。

今回も、その様にならない事を祈るのみ・・・


後日談(2011.4.1)
支援物資を受け付けている関西の団体に我がクラブの幹事が送付先確認したところ、「もう要らない」と言われたらしい。数日前には「一個でも二個でも良いから買い求めて送れ」と言っておきながら、集まる物資の数に驚いて、急遽もう要らないと言い出したもの。
こんなアホなトップがいる団体に所属しているのが恥ずかしい。



2011年3月29日火曜日

八田 與一 記念公演


神戸市シルバーカレッジで昨年の4月から今年にかけて台湾に貢献した日本人「八田 與一」氏に関してグループ学習した。

昨年の12月に学習成果を発表したところ好評でクラス代表作にも選ばれた。

その八田 與一氏を記念してヴァイオリン コンサートが有るとグループ メンバーから知らせが届いた。

コンサートは4月1日から4日まで岡山県内で開催される。

4月1日(金)
(画像をクリックすると拡大します)

4月2日(土)

4月3日(日)

4月4日(月)
楽器(ヴァイオリン)は何れも名器で総額20億円するらしい。


八田 與一氏の偉業は日本人に知られてないので、コンサートを通じて多くの人に知ってもらいたい。



2011年3月19日土曜日

東日本大震災 義援金募金


16日にインドから帰国し、17日に東灘区社会福祉協議会 ボランティアセンターに義援金募金活動を行うよう働きかけた。

東灘警察に道路使用許可申請を確認したら、募金箱を首から下げて活動する程度であれば許可申請は不要との回答を得、活動場所の範囲が広がった。

18日に胸看板などを作成し、19日(土)の10時からJR住吉駅前で活動した。
(画像をクリックすると拡大します)
結果は、上記画像に示す通りです。
ご協力していただいた皆さん ありがとうございました。
浄財は19日に東灘区社会福祉協議会に引き渡しました。



2011年3月11日金曜日

インドでの東日本大震災


東日本大震災で被災された皆さんに心よりお見舞い申し上げます。

私は、3月5日からインドに出かけており、11日の12時(日本時間15:30)ごろからインド国内線空港で搭乗を待っていた。

飛行機は時間通り飛ばないので、待合所は混雑し、みんなウンザリしている。

何気なく、目に留まったTVで日本の大津波のNewsを流していた。
13:45頃(日本時間17:15) 原発事故の報道もあった。
(画像をクリックすると拡大します)





当時の報道では、マグニチュード8.8

早速、そばにいた現地ガイドのシャルマさんにヒンディー語を訳してもらい、宮城と福島が壊滅的な被害を受けたことが分かった。



2011年3月3日木曜日

NZ クライストチャーチ地震


Before and After - our beautiful city
(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)



(↑Before ↓After)
上の写真はCHCH在住の娘婿から届いたもの

大きなダメージを残したNZクライストチャーチ地震
発生:2011年2月22日12:51(日本時間8:51)
規模:M6.3
震源地:クライストチャーチ市南東10Km(リトルトン港付近)
震源の深さ:5Km
地震発生から8日を経過したが、いまだ多くの人が消息不明で、その人たちの生存の可能性も少なくなるばかり・・・

高い志を抱いて勉強に赴いた人たちが被災して心が痛む。