昨夜は酷い目に遭った。
暑くて寝苦しいので目が覚めた。エアコンが止まり、部屋も真っ暗。街全体が停電だった。
時間は、午前3時ごろ。
我々は山登り用のヘッドランプを持参しているので、それを点けて待つこと一時間。
ようやく回復した。
やれやれ と思った矢先、再び停電した。
午前5時ごろ中庭に下りると、自販機など点灯しているではないか!
そうだったのです。
2回目の停電は、我が部屋だけブレーカーが落ちていたのです。
散々な目に遭ったが、早朝から昨日の続きを観光する。
日中は暑いので、その時間帯は昼寝する予定だ。
宿舎から西北西にあるアルク城まで徒歩約30分。
正面に回ると、大きなイベントが。
今日は”国際オリンピックデー”だとのこと。
老若男女たくさんの人が参加していた。
ウイークデーなのに子供達がたくさん参加しており、不思議に思って訊いたら、6月から8月は夏休らしい。
混雑を避け、
アルク城向かいのボロハウズ・モスクから観光。
クルミの木に彫刻を施した入り口の柱は見事。
オアシスの都と言われるだけあって、水は豊富。
広大なサーマーニーズ公園を歩いて、
イスマイール・サーマーニ廟へ。
同側面。
小さな廟だが、内部の壁面、天井が素晴らしい。
イベントが終わったようなので、アルク城に戻り入城。
入り口近くのジャミー・モスク。
このモスクの天井も素晴らしい。
城内の様子。
建物の多くは博物館になっており、
中には日本の壺も展示。
最後は、アルク城の王様になった気分で、
その後、宿舎に戻って、遅い朝食を摂ってから昼寝した。
◆日本人墓地参拝
午後4時ごろ再び街へ出た。
屯しているタクシードライバーに、日本人墓地を知っているか訊ねると、たいてい仲間内の誰かが知っていた。
エアコン付きのドライバーと値段交渉になったが、言い値の15万スムを7万スムまで値切って交渉成立。
この値段交渉(値切り)が一番楽しい!
同墓地はブハラ市の隣町カガン(Kogon)市の郊外。
タクシーで30分くらいかかる
道中、ドライバーに物価など色々聞いてみた。
交通違反では
信号無視:us$50
スピード違反(70~100km/hまで):us$25
同 (100km/h超):us$50
不動産価格
戸建て住宅(床面積140㎡):us$30,000
マンション(床面積62㎡):us$20,000
新車価格
シボレー us$9,000~us$15,000
ウズベキスタンGMの車でシボレーブランド。
国内シェアーは圧倒的に多い。
こんな話をしている内に日本人墓地に到着。
Kogon(カガン)市の郊外にあるので、地の果てに在る様な錯覚を受ける。
1945年大東亜戦争敗戦とともに、ソ連に不法抑留された日本人の内、159名の方々がここに眠っておられる。
墓碑は風化して文字が読みにくい。
日本語のお名前は良く見ないと分からない。
対面にウズベク語(ロシア語?)の墓誌が。
お墓には番号のみが振ってあり、個人名は無い。
現地語の墓誌から日本人名を知るのは非常に難しい。
現地の女性に墓誌の名前を読んでもらったが、発音が違うので、日本人名を連想するには至らなかった。
我々は、墓碑の前で念仏を唱えてお参りした。
私の父親と同年齢の方々だけに他人事とは思えない。
因みに、父親はフィリピン(第十四方面軍)で戦死。
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明日のBlogへ続く
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