カラコルからベル・タムへ移動する。
途中、タムガ村に寄りたかったが、マルシュルートカで移動する場合、国道で降ろされ、タムガ村のサナトリュムまで2kmをスーツケースを引きながら歩かねばならない。
更に、タムガ村からベル・タムまでの移動手段(村にタクシー)がない。
そこで、先ずベル・タムまで行き、チェックインを済ませ、その後タクシーで引き返すことにした。
また、マルシュルートカはベル・タムには寄らないので、近くの街(バコンバエブ)まで行き、ベル・タムへはタクシーを利用することにした。
B&B奥さんの心づくしの朝食をいただき、
ご夫婦がバスターミナルへ送ってくれた。
カラコルのバスターミナルは二か所あって、イシク・クル湖北回りと、南回りで乗場が違った。
マルシュルートカは、約2時間半で近くの街バコンバエブ着。
直ぐに、近くにあった、ツーリストインフォメーションに飛び込む。
ベル・タムへのタクシー料金、タムガ村往復タクシー料金などを調査し、とりあえず、ベル・タムのユルタキャンプにチェックイン。
ここに施設は、
温水シャワーがあり、便所は水洗便所。
ユルタキャンプのオーナーらしき女性に、タクシー料金の交渉を依頼。
ツーリストインフォメーションで訊いた価格から一割引きで交渉成立。
タクシーはA363号線を引き返し、タムガ村の入り口で一時停止。
◆タムガ村とは
1045年8月、日本が大東亜戦争に敗れたが、そのドサクサにソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して攻め込み、多くの日本人(兵)が不法に抑留させられた。
タムガ村でも、125名の日本人が療養所建設工事に従事させられた。
その、日本人が建設した療養所が今も残っていると訊いたので、同所見学を今回の旅に組み込んであった。
終戦当時は海上交通が主で、波止場があったと思われる場所をA363号線から撮影。
日本人捕虜はここから2km先のタムガ村へ歩いたらしい。
療養所入り口。
女性が、自動車が通るたびに、扉を開閉している。
その女性に、日本人が建設に従事した建物はどれか尋ねるが、一向に要領を得ない。
70年以上前の事なので、知らないのも無理はない。
とりあえず、療養所の場所を訊き、自分の足で探すしかない。
ここは、広大な敷地だった。
この通りの奥、左手にあると訊いたが、左手には建物が幾つも有って、どれが療養所か分からない。
人の気配を感じて入った建物。
食堂棟の様な建物で、十数人の客と従業員がいたが、全員言葉が通じなくて要領を得ない。
更に、奥へ入る。
それらしい建物が見つかった。
入り口の看板は、スマホがネットに繋がって無く、読めない。
鍵のかかった入り口ドアーを叩くと、運良く、中から女性が表れた。
ここは療養所かと訊くと、そうだと答える。
やったー!
この建物が、目的の建物だったのだ。
その女性が案内してくれた一室が、キルギス平和センター。
現在は、療養所内の一室を同センターにしていることを知っていたので、ここに間違いない。
宮野泰氏(当時建設に従事された人)の関連物。
ロビーの撮影を許されたので、
屋外に出ると、案内してくれた女性が、桜の木を紹介してくれた。
屋外を回る。
125名の日本人が600日かけて造り上げた建物が、70年の風雪に耐えている姿に、日本人として誇りを感じてその場を後にした。
なお、建設中の死者はゼロで、全員が復員の途に就いたらしい。
但し、宮野泰氏の著書(タムガ村 600日
)では一名だけ現地女性と恋に落ち、子供も出来たらしい。その男性の消息だけ不明。
明日のBlogへ続く
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