2016年11月10日木曜日

クライストチャーチ大震災と復興


カンタベリー大震災(2011.2.22)で壊滅的な被害を受けたクライストチャーチ市中心部を歩いてみた。

市のランドマークになっていた大聖堂も今は無残な姿になっている。(下の写真は震災前)
大震災から5年8ヶ月が過ぎた姿。

再建をどうするのか?

昔の姿で再建するか、全く新しい近代的なデザインの大聖堂にするか、賛成、反対いろいろあって、4年間すったもんだの末、昔の姿で再建する案に決定したらしいが、未だ手が付けられていない。

まあ・・・ニュージーランドらしいと言ってしまえばそれまでだが、決定が遅すぎる。
”費用の目途がついたら再建”らしいので、再建費用が集まらないのかも知れない。


大聖堂から東に5,6分歩いたところに仮設の大聖堂が出来ている。
日本人建築家坂茂氏設計の紙の教会。


同氏は阪神淡路大震災の時も、長田で紙の教会(鷹取教会)を設計した人。

紙の教会って、どこが紙か解り難いですが、写真に写っている円筒形の茶色い棒状のものが紙で出来てます。

屋根を支えている大口径パイプ(合掌)から壁や祭壇、十字架に使用している小口径パイプまで紙です。
まあ・・・解り易く言えば、サランラップなどの芯に使っている紙パイプを太く、長くしたものです。


紙の教会から道路を挟んで南西側が旧CTVビル跡地。
現在は記念公園となっている。
CTVビルは耐震性能が乏しく、”ねじり破壊”を起こして崩れ去り、語学学校生徒など多くの犠牲者を出した。
ねじり破壊を示す、残ったコア部分(当時の写真)


今も、記念公園を訪れる人は絶えない。
亡くなった人を偲んで献花も。
日本人らしい。花の状態から、つい最近訪れたらしい。
(カンタベリー大震災では28名の日本人が犠牲になった)

この公園は英国のウイリアム王子もNZ訪問時に訪れている。

また、富山語学学校生徒13名の追悼碑はここから車で20分ほど離れたエイボンヘッドパーク共同墓地にある。



震災の復興に関しては、ついつい神戸と比較するが、NZは復興スピードが遅い。

今でも、道路整備をしている。
区画整理で延びたのでは無い。

土地は更地のまま残り、多くは仮設駐車場として利用している。
建物が立ち並ぶのは、何時になるか分からない。

まあ・・・後10年経っても出来ないかも知れない。






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