2015年9月28日月曜日

スーパームーン(神戸の夜景)


今夜はスーパームーン。
中秋名月(9/27)の翌日は月が一番大きく見えるらしい。

少し雲がかかったものの、神戸から綺麗に月が見えた。
↑スピード:1/10秒 f値:f/4.8
しかし、月を撮るのは難しい。
どうしても月がボヤケテしまう。
(去年も同じことで悩んだが、全然進歩していない)

近くの野原からススキを摘んできて飾り、知人の中国人から頂いた”月餅”を祀って、健康に感謝した。


神戸の夜景は素晴らしい。
この場所に家を建てて本当に良かったと思っている。
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2015年9月27日日曜日

栗の収穫


2012年に植えた栗の幼木に実が生った。

の木は”銀寄”と”筑波”の二種類を植えてある。
何故ならば、栗は受粉樹が必要なことから、一種類では実の付き方が悪くなる。

これは”筑波”

栗の花は双方とも同時期に咲くが、実が熟れるのは”筑波”の方が半月ほど早い。

従って、”銀寄”は10月に入ってから収穫する。




2015年9月23日水曜日

墓参り


我が家の墓は、生まれ故郷にある。

自宅(神戸市)から墓まで125km離れており、車で毎回行くが、片道2時間以上かかる。

年に3回(春秋の彼岸とお盆)お参りするだけだが、加齢と共に少し負担になってきた。
それに、子供の代に移ると、馴染みのない田舎に出向くのは、更に負担になるだろう。
私にとっても、田舎に暮らす叔父や叔母が既に他界しており、次第に馴染みが薄くなってきた。

そんなことで、墓地を関西に移動し、手軽に行けるようにしたいと思いたった。

しかし、我が家の墓石を他所に移動するに躊躇している。
父親は戦死しており、戦死者の墓石は当時の村が建立したもので、霊苑でも一ヶ所にかたまっている。

その整然と並んでいる墓石から一基だけを移動すれば、歯抜けになり、景観が損なわれてしまう。

とはいえ、戦後70年が経過して、その遺児も70歳を超えたことから、田舎を離れた家族にとっては移設もやむを得ないことで、田舎の皆さんには理解してもらう以外方法はない。


こちらは一般の墓

こちらからも、我が家の墓石を移動することになる。




2015年9月11日金曜日

今年のカボス


留守中、カボスが大きくなっていた。

幼木ながら、けな気にも、毎年実を付ける。
今年の収穫は下の写真の倍の量だった。

実はスダチと違って一回り大きい。
マッタケは高いので、焼き立てのサンマにかけることにする。

また、柑橘類はイノシシの被害にあわないのも良い。




2015年9月10日木曜日

ようやく退院


今日、退院した。
入院してから約一ヶ月かかった。

どんな手術をしたか、写真で示すと



上腕部を、金属(インプラント)にそっくり取り換えた。

未だ筋肉がついてないので痛みがあるが、筋肉が回復すれば、それも治るらしいので、しばらくはリハビリに励む。




2015年8月11日火曜日

明日から入院


2003年1月に骨折した上腕部関節が悪化したので、人工関節(インプラント)に取り換えることにした。

明日入院し、明後日手術する。
術後4週間は装具で上腕部を固定するらしく、不自由な生活が続く。

従って、Blogはしばらく休みます。




2015年8月6日木曜日

ぜいたくな旅 上高地ー3(大正池 ほか)

帝国ホテルの夜は暑かった。
午前6時の室温は25℃を超えていた。

昨夜は暑くて寝苦しく、窓を開け、そこに扇風機を置き、回しっぱなしにして寝たが、室温は下がらなかった。
(エアコン(冷房設備)は無い)
部屋面積に対して開口部(窓)面積が小さいのが原因で、外気を十分に取り込めなかったものと思われる。
部屋の快適さは”徳澤園”の方が良かった。


朝食はホテル内の”あずさ庵”で摂った。

”あずさ庵”は日本料理レストランでメニューは上の通り。
ご飯、若しくは、お粥を選択できる。お粥にした。


涼しいうちに大正池までトレッキングした。
ルートは、帝国ホテル→田代橋→梓川コースで田代池→大正池→林間コース→田代橋→帝国ホテル
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田代橋から田代池まで随分離れていた。
 ↑田代橋のたもと(帝国ホテル側)


 ↑田代池

 ↑↓大正池

現在の大正池は”池”と言うより”川”に近い。
焼岳が噴火して、梓川を堰き止め出来たダム(池)だったが、噴火から95年も経つと湖底に砂礫が溜まって、もはや川に見える。
湖面から突き出ていた枯れた木々も朽ちてしまい現存は数本しかない。

木道を歩き、ホテルに戻る。

木道に沿った清流では岩魚が泳ぐ。


帝国ホテルで昼食を摂り、バスの出発時間まで同ホテルの図書室で読書する。
13:30 帝国ホテルを出発し、帰路に着く。

帰路は、往路を引き返すだけ。
JR松本駅で、往路新幹線に置き忘れたスマホの転送手続きをして、集合場所に戻ると、連れの二人が居ない。

二人は、新大阪駅でも集合場所を勝手に離れたが、ここでも同じことを遣らかした。
お蔭で、特急列車を一本乗り遅れ、腹が立つが、此処ではこれ以上書かないことにする。

ぜいたくな旅はここで終わり