2011年5月11日水曜日

大震災 石巻市(被災地)支援 活動報告-3


昨夜は早く寝たので、朝5時に目が覚めた。
(自宅では5時に起きることなど滅多にないが・・・)

あさ風呂に入ろうとロビーを歩いていたら
窓越しだが、朝日に映える松島がきれい。

石巻市で一日過ごしたことで、被災地の様子が分かってきた。
我々が作業をした地域のスーパーマーケットやコンビニはすでに営業を再開しており、昼食(弁当やおにぎり)を買うことができた。

神戸を発つときは、食事は完全自己完結型が要求されたので、
非常用保存食を湯沸し用ストーブと共に持参したが使用することがなかった。

五目ご飯やきなこ餅などは魚屋道(ととやみち)をトレッキング したときに既に試食したが、いずれも優れもので、味も満足できる。

大震災後はこれらの商品も品薄らしいが、人と防災未来センター 東館1階の売店まで行けば買うことができる。
非常用保存食は常備しておき、古く(賞味期限は5年)なれば、山歩きやキャンプなどで消費すればよい。

今日も、昨日と同じ地区に入る。 沿道の戸口には、
神戸(阪神淡路大震災)でもあったが、このような張り紙を見ながら、目的地に向かう。


今日は、今回のボランティアのハイライト! 床下の泥だし作業だ!
グループ一同、いよいよ来たか! と言うような表情。

この家は1階床上1.5m位まで水に浸かった。
地震の被害は軽微で、津波で水没した部分を修理して再使用するので、床下の泥出しを依頼したと思われる。

Before

床板は撤去してあったが、根太が残っており、床束の根絡みも残っている。作業効率が悪いので一時撤去しようかとも話したが、内部に溜まった泥を触ってみると、ケーキ状に固まり、丁度手ごろな大きさにひび割れしている。(写真をクリックすると拡大します)

泥の厚みは5cm内外で、手で泥をすくい上げるようにすると簡単に掴み出すことが出来る。そこで、根太などはそのままで、手で土嚢袋に入れることにした。
After

多人数のマンパワーはすごいもので、しばらくすると床下はきれいになった。

この泥は何処から来たのか?
海底に溜まったヘドロを津波が運んできたものだろう。
沿岸部にはいろんな工場があり、この地区には製紙工場もあることから、うかがい知れる。


◆今回の大震災で、地震による建物被害はなく、津波被害で再使用不能になった家の持ち主が私に話した言葉が忘れられない。

「耐震改修(補強)をした家も、しなかった家も、津波が来たら一緒だった。高い金をかけて耐震改修などしない方が良かった」





2011年5月10日火曜日

大震災 石巻市(被災地)支援 活動報告-2

いよいよボランティアが始まった。
我々グループはニーズ票に基づき、赤い楕円形あたりの個人住宅に向かった。
この航空写真はグーグルから転用したもの。震災後の写真で被害状況が写っている。


被災地の状況。この辺りは2階の床近くまで津波が押し寄せたところ。


至る所に自動車が転がっている。所有者に代わり市長が車両を移動する旨の掲示をしてあるが、手が回らないのか、手つかずの状態で放置されている。(写真をクリックすると拡大します)

最初に伺ったお家は、2階の床近くまで津波で水に浸かったが、母屋は流されてない。しかし、プレハブ物置が流れてきて建物に食い込んでいる。

部屋の中は、天井裏に敷き詰めた断熱材が水を吸って、その重みで天井板がすべて落下していた。また、2斗(30Kg)入りの玄米などが外部から漂着して足の踏み場もない状態だった。

あまりのひどさに写真を撮ることを忘れた。

兎に角、家具、電化製品の運び出しと、畳や漂着物を搬出した。

午後からのお宅は庭一面に漂着物の山。足の踏み場もない状態。
Before

家具などを搬出して欲しいと言うが、先ず進入路づくりから始めた。
上の写真で自動車が車庫内に駐車しているように見えるが、実は遠くから漂着した車

思わず、ギョッとする。

屋内の家具や漂着物の搬出を急ぐ理由の一つに、行方不明者の捜索がある。警察や自衛隊の捜索は屋外だけで、建物内部は手が付けられていない。2斗(30Kg)入りの玄米などと共に人間も漂着している可能性があると聞かされていたので、上の写真を見たときにはびっくりした。

After

玄関と庭先から家具などを搬出した。
上の写真で遠方に見える自動車が、手前の車庫から流されて、裏の家に引っかかった状態。此方からしか出口がないので、レッカー車を手配して引っ張り出す予定。

午後3時に一日目の作業を終了した。
作業終了後は、その報告のために、専修大学構内に設けられた災害ボラセンに向かうことになる。車内が汚れないように、外で長靴を履き替え、作業着を着替えてバスに乗り込む。

午後6時ごろ松島のホテルに到着した。良いホテルに泊まれてよかった。
部屋は5人部屋でまぁまぁの広さ。早々に入浴し、夕食を済ませる。

5月3日のブログ を見てくれた堺市の皆さんから受付けた土産品の発注のためにホテル売店に向かう。

売店で100個超の土産品を注文したが、津波被害のために品切れ商品があり、代替え品に交換したり断念したりした。


◆謝辞◆
堺市のみなさん
被災地支援のためにたくさんの土産品を買っていただきありがとうございました。趣旨を話したら、売店の皆さんは大変喜んでいました。
宅配便の代引きで発送を手配しましたので、間もなく届くと思います。


◆このブログを見てくれた皆さん◆
宮城県には
「笹かまぼこ」や「牛タン」などおいしい土産品がたくさんあります。
被災地支援のために東北の土産品を買いましょう。


未曽有の大災害には息の長い支援が必要です。





2011年5月9日月曜日

大震災 石巻市(被災地)支援 活動報告-1


東日本大震災で津波被害を受けた石巻市(被災地)支援ボランティア から今朝戻った。

5月6日14:30から9日9:00まで3泊4日の支援の旅だったが、その概要をこれから数日にわたって記載しようと思う。

6日15:30から神戸市役所1階ロビーで受付が始まった。
今回の募集は40名だったが、最終的に参加したボランティアは38名。

その年齢層は、20代から60代までで、20代から40代と思われる女性が6名いた。
私は最高齢ではなかったが、まぁ・・・それに近かった。

16:00から簡単な出発式があり、

16:20いよいよ出発。


我々のバスは2号車。ボランティア19名とスタッフ3名の22名で、後部座席に座る人には申し訳なかったが、1人で2席を使えて良かった。

車内を見渡してみると、高齢者には2席割り振ってあったように思う。

バスは名神高速道路~北陸自動車道~(新潟経由)磐越自動車道~東北自動車道~仙台市を経て石巻市に向かう。


7日早朝、いよいよ宮城県石巻市にバスは入った。

車窓から津波の爪痕が見える。


「震災時給油可能SS」と書かれたガソリンスタンド。

目的地、石巻市の「やまとの湯」前の駐車場に8:30到着した。
神戸を出てから16時間チョットかかった。

すでに車内で着替えを済ましているので、即ボランティアに取りかかれる。

隣に駐車したのは石川県からのボランティアバス。これ以外にも、三田市からのバスや全国各地から支援バスがやって来ている。

スタッフが現地ボランティアから支援場所の指示を受ける。

現地の災害ボラセンでは「ニーズ票」で被災者からボランティア要請を受けており、それを全国から集まったボランティアに手渡して捌いている。

我々は10から11名(スタッフを含む)の4グループに分かれて行動した。
我々のグループが担当したのは、赤色の楕円形で示した辺り。

南側に全国酪農業協同組合連合会の工場があり、そこから津波で流されたのか、2斗(30Kg)袋入りの玄米が無数に散らばっていた。






2011年5月4日水曜日

ととやみち-2


今日は魚屋道(ととやみち)を歩いて有馬温泉まで行った。

甲南女子大学近くの昭内橋から有馬温泉までだから、全ととやみちを踏破したことにはならないが、まぁ・・・ほぼ踏破した。

今日も風吹き岩は混雑していた。中国からの黄砂の影響で視界は悪い。


風吹き岩からは、先ず雨が峠を目指す。

森林浴コースの道で歩きやすい。

雨が峠に到着した。ここで少し早かったが疲れてので昼食にした。

持ってきた非常食を調理する。
これは優れもので、水を注ぐだけでアッという間に餅ができる。味もなかなかのもの。
4月29日の乾燥米飯(五目ご飯、大豆ひじきご飯)と同じく、 災害時のために非常持ち出し袋に入れておく。賞味期限は5年ある。

昼食時、近くでオカリナを演奏しているオジサンがいた。
レパートリーはたくさんあるらしく、中でもアメイジンググレイスは絶品で、演奏が終わったら、期せずして周囲から拍手が起こった。


ようやく一軒茶屋に到着。
六甲山山頂(最高峰)までもう少し。

とうとう六甲山の最高地点(931m)に着いた。

山頂を少し下って、一軒茶屋のところから有馬方向にととやみちを歩く。

有馬温泉までは下り坂ばかりで、道は広く石畳の道もある。
しかし、石畳は歩きにくい。

途中に休憩所などもあり、コースは整備されている。
ようやく有馬温泉に到着。

満足感に浸りながら、炭酸水の源泉を汲んで土産にした。
ととやみちを有馬温泉まで歩いたことで、体力に自信がでてきた。

この調子でゆけば、ニュージーランドの世界一美しい散歩道といわれる「ミルフォードトラック」も歩ける。


◆謝辞◆
昨日(5/3)のブログで被災地を支援するために現地の土産ものを買おうと呼びかけたところ、堺市の皆さんから100個を超える大量の注文を受けました。
堺市の皆さん本当にありがとうございました。東北の人たちもきっと喜ぶと思います。


それにしても・・・
神戸の人たちは16年前の大震災で世話になったことを忘れたんかなぁ・・・