フィッシングメールが良く届く。
今回は分かり易いメールだった。
何故かと言えば、我が家とは無関係の相手から来たメールだった。
◆東京ガスから
◆アメックスから
”ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる”かも知れんが、騙される人が居るんやなぁ。
旅行、トレッキング、登山、園芸、ボランティアなどでスローライフをおくる。 一年の内、半分を日本で、残り半分をニュージーランド(NZ)で過ごしていた頃始めたブログです。 うはらの郷とは、古くは芦屋市から神戸市東灘区周辺(説では夙川から旧生田川まで)を莵原と呼ばれていたことに由来します。
フィッシングメールが良く届く。
今回は分かり易いメールだった。
何故かと言えば、我が家とは無関係の相手から来たメールだった。
◆東京ガスから
◆アメックスから
”ヘタな鉄砲も数打ちゃ当たる”かも知れんが、騙される人が居るんやなぁ。
日本蜜蜂は、桜の花が終わる頃分蜂すると言われているので、ソロソロそのシーズンに入る。
分蜂すると、蜂たちは近くの樹の幹に蜂の球を作る。
何故、蜂球を作ると言えば、分蜂群は未だ新入居先が決まってなく、一時待機中の状態。
つまり、探索バチが新居先の情報を持ち帰るのを、蜂球を作って待っている状態。
其の時、蜂球を捕獲して新しい巣箱に強制入居してもらう。
居着いてくれたら、一群捕獲で目出度し目出度しとなる。
蜂球を捕獲するには、手頃な処(手が届く場所)に作って無ければ、捕獲できない。
従って、容易に捕獲できる処に分蜂集合板を掲げる。
先ず、分蜂集合板を作る。
自然木が理想だが、自然木の皮は容易に手に入らないので、人口品で代用した、
代用品は”人口杉皮”。ヤシの繊維出来ている。
今週になり、気温が上げって来たので、蜂たちの動きも活発になってきた。
用意は、待ち受け巣箱設置と、分蜂集合板の設置。
今日は、待ち受け巣箱を設置した。
設置中に、塗った蜜蝋に引き付けられた蜂たちが数匹寄って来たが、探索バチではなさそう。
金稜辺が咲いたら、近くに置いて入居を目指す予定。
日本蜜蜂の巣箱作りを始めた。
3月に入ってからも寒い日が続き、巣箱作りが延び延びになっていたが、そろそろ蜜蜂の活動(分蜂)期が迫って来たので、重い腰を上げたもの。
材料は既に買い求め、道具(スライド丸ノコ)も昨年末に購入済。
作り終えたのは、重箱式巣箱が12個。
これで、古い巣箱と合わせて、合計7組(全4段重ね)になった。
今月末には分蜂が始まるので、分蜂集合板も作り、セットしなくてはならない。
今日は移動日。
14:50マニラ空港発ANA便で羽田へ戻る。
午前中、時間に余裕があるので、少しだけ観光。
マニラ市内のリサール公園へ寄り道。
マニラ空港は空いていた。
全日空だけあって、食事は日本人向け。
フィリピンでは長粒子米のパサパサご飯で、それに比べると美味しい。
今日は、カラリアにある比島戦没者の碑にお参りする。
11時頃到着、
慰霊祭会場まで少し歩く。
式典後、持参した灯明、線香を供え、念仏を声に出し唱えた。
今回の団員は”甥”や”姪”が過半を占め、私の様な”戦没者の子”は少数派。
当然ながら、父の居ない家庭に育った”子”と、両親の元で育った”甥、姪”とは根本的に違う感覚がある。
”甥、姪”は写真撮影などに夢中になるが、私は仏式でしっかりお参りした。
今回の慰霊団の行事は全て終了した。
今日は1柱の慰霊祭。場所はマニラ市内。
”バルアルテ・デ・サンディエゴ”(Baluarte de San Diego)の芝生広場をお借りして慰霊祭は行われた。
これで、全遺族の慰霊祭は終わった。
◇ここ、”バルアルテ・デ・サンディエゴ”(Baluarte de San Diego)は、フィリピン・マニラにある石造りの要塞で、日本語では「サンディエゴ堡塁」とも呼ばれている。マニラで最も古い要塞のひとつで、マニラの歴史を知る上で重要な場所らしい。
式典後、同堡塁を見学。
大聖堂内部