2023年11月29日水曜日

フィリピン慰霊の旅 5

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今日も移動日。
カバナツアンからマニラへ戻る。


その前に、小学校を訪問して親善を深めるプログラムが用意されていた。

各々が日本から持参した文房具などを生徒にプレゼントして親善を深めるというもの。
小学校は、カバナツアンにある、Sta.Romana Memorial elementary school。

大勢の子供が集まってくれ、歓迎してくれた。

我々は、低学年の児童にプレゼント品を贈呈した。


その後、児童と縄跳びなどして交流を深めた。と、言うよりは、我々が童心に還らせてもらった。

これらは全て日本遺族会が用意したプログラムに則ったもの。
日本が古くから行っていたパターンで、ばらまき型の親善行事。

私は、このばらまき型に異論がある。
ばらまき型は、良くない。
何故なら、貰った側は、その時は良いが、貰った物が無くなった時どうするのか?
絶えずばらまけば良いのだが、ばらまく側も、永久には続かない。
従って、ばらまき型の親善は限度があって、良くない。

私の考えは、トマトをあげるより、トマトの作り方をレクチャーする。
魚をあげるより、魚の釣り方をレクチャー方が良いと考えている。

神戸には、それを実践しているNGOがある。
そのNGOを多くの人が支えているが、私もその一人。
東南アジアの青年を一年間日本に招き、農村出身の青年には日本の近代農業の技術を、漁村出身の青年には近代漁業技術を学んでもらって本国に戻している。

本国に戻った青年は、その地域のリーダーとなり、日本で学び身に着けた技術を他の人に教えて、その地域全体が豊かになる事を目的にしている。

この様な親善で無ければ意味がない。
今回の親善は、品物を送る側が自己満足したに過ぎない。


数時間かかってマニラに到着。
今夜のホテルはマニラホテルだった。




ホテルに入場する前に、空港並みの手荷物検査があった。


夕食はマニラの日本レストランだった。

久しぶりの日本食
日本人経営のレストランで料理は美味しかった。






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2023年11月28日火曜日

フィリピン慰霊の旅 4

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今日はカバナツアンへ戻りながら、2ヶ所で2柱の慰霊祭を行う。

ソラノからカバナツアンへは往路を戻る。


サリナス
ここものどかな田園風景だった。
78年前戦争があったとは思えない。


途中立ち寄った第14方面軍戦車撃滅隊の碑に立ち寄り黙祷をささげた。
ここは隣に棲むご家族の好意で碑を建てさせてもらっているらしい。

有難いことです。感謝。


カバナツアン
ここが、今回の最後の個人慰霊祭。
毎回だが、参加者全員が協力して会場つくり。

これで、今回予定していた14柱の慰霊祭は終了した。


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2023年11月27日月曜日

フィリピン慰霊の旅 3

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今日の慰霊祭は2ヶ所計5柱の慰霊を行う。

先ず、キャンガン(Kiangan)に移動する。


ここで、3柱の慰霊祭。





一旦、昼食にホテルへ戻り、再度コルドン(Cordon)へ向かう。
コルドンはのどかな平野部にあった。


農耕は水牛を使い、田植えは人力。
日本の60年前の風景が、ここにはあった。

下の写真は、1945年9月2日の朝、第14方面軍 山下将軍が降伏した小学校校庭。


正式な降伏文書署名は翌日バギオ市で行われた。


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2023年11月26日日曜日

フィリピン慰霊の旅 2

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今日はカバナツアンからソラノへバス移動する。

途中のプンカン、バレテ峠、バヨンボンで慰霊祭を行いながらの移動になる。

ブンカンでの慰霊祭


バレテ峠での慰霊祭
バレテ峠では日米の壮絶な戦いが繰り広げられ、米軍のダルトン第2師団長(将軍)も戦死した。
(師団長が戦死するのは異例の事。それだけ壮絶な戦だった)
そこから、ここはダルトン・パスとも呼ばれていた。

その後、バヨンボンでは雨。
東屋の様な処で慰霊祭を行い、ソラノに着いた。

ソラノ泊


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2023年11月25日土曜日

フィリピン慰霊の旅 1


今日からフィリピン慰霊の旅が始まる。

昨日は、東京に集合して結団式、靖國神社参拝(本殿での正式参拝)後、


羽田空港へ。
空港では時間があったので、TIAT Loungeで一休み。

ここは、アルコールも飲み放題。品数も豊富。

深夜1:50発マニラ行きで


一路マニラへ。
機内食はまあまあ。航空会社はJAL。

マニラ空港到着ロビーで事件があった。
現地SIMを買って、そのセットアップ時にSDカードを抜かれた(盗まれた)のだ!

このロビー左手に両替窓口(便所もある)があるが、その手前カウンターで現地SIMを売っていた。
日本のアマゾンで買ってきたSIMがネットにどうしても繋がらなかったので、このカウンターで現地SIMを買い求め、セットアップを依頼した。
その時、現地SIMと元々入っていたSDカード共に挿入するのを確認したが、その後、支払時に目を離した隙にSDカードだけを抜かれた。

過去に何回も現地SIMを購入し、セットアップを依頼してきたが、こんな事は初めてだ。

フィリピンという国の民度の低さが現れたのだが、到着早々これでは先が思いやられる。

マニラ空港からカバナツアンまでバスで移動。


街は汚い!
小さな単車にサイドカーを付けている。
タクシーなのか不明。

午前11時過ぎにホテル到着。

ホテルはマアマア。

午後はゆっくりする。
明日からは大東亜戦争時の戦地を訪ね、随所で戦没者の慰霊祭を行う。


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2023年11月12日日曜日

四国霊場八十八ヶ所 土佐編ー4

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今日は、第33番札所 雪蹊寺(せっけいじ)の予定だが、桂浜を経由して向かう。
桂浜へはMy游バスを利用。
同バスのチケット(千円で乗り放題)は一日単位なので、昨夕に購入していた。

龍馬記念館から龍馬像を経て桂浜へ。

桂浜

桂浜から雪蹊寺へ

第33番札所 雪蹊寺(せっけいじ)


雪蹊寺の後、第35番札所 種間寺へ行こうと提案したが、距離が6.5㎞あり、歩けば1.5時間かかる。
昨日までの3日間で十分歩いたメンバーは難色を示したので取り止めて、フェリーに乗ったりして高知市中心部(はりまや橋)へ。

そこからチンチン電車で高知城に向かう。


高知城




今回の旅はここまで。

お土産物を物色後、JR高知駅北の高知バスターミナル(BT)へ。

高知BT午後4時10分発で同8時30分に自宅(神戸)に戻った。
速い!


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