2011年5月17日火曜日

大震災(大津波)石巻市雄勝町 支援 活動報告


今日(5月15日)は石巻市雄勝町に向かった。
雄勝町は石巻市街から東北東にあり、女川原子力発電所の北側にあたる。(画像をクリックすると拡大します)
浜側の道路は通行止め個所があるので、遠回りだが北上川の右岸を下ることにした。

北上川の河口に近づくにつれ津波被害がだんだん大きくなる。

田んぼは作付けができない。北上川の堤防が決壊したらしい。

石巻市雄勝町上雄勝にバスは入った。


何も無い!

建物の基礎部分だけが残っている。右の写真の白い建物は市立雄勝小学校。2階も水没した。画像をクリックすると拡大します。

 ↑右手後方の茶色い外壁は市立雄勝中学校

↑海洋センター

改めて津波の恐ろしさを見せられて、身震いを感じた。

目的地、雄勝町水浜に到着した。


ここも何も無い!

低い土地の住宅は全て流されている。
海抜は1.5m~2m程度か


↑坂の上の住宅の1階床上まで津波が来た。↑高さは10mくらい。
下の住宅は屋根の棟まで水没したが流されることがなかった模様。

ここでの活動は浜辺の漂流物を片付けて、重機を通すための進入路作り。
漂着物のほとんどは家屋の材木で、屋根がそのままの形であったり、大きな梁や柱などが足の踏み場もないほど散らばっている。
それに、漁網が絡まって作業は難航した。

しかし、18名のマンパワーは凄いもので、午前中にほぼ完了した。


我々が作業しているすぐ前には転覆した漁船が漂っている。


午後2時から隣の分浜(わけはま)地区へ応援に向かう。


小さな集落だが、ほとんどの家屋が津波で流されたり、大きな被害を受けている。 (画像をクリックすると拡大します)

屋根の上の漂着物で、津波の波高がよくわかる。


沖で漂う住宅。綺麗な海だけに、余計に心が痛む。


水浜と分浜の間で古いサイレン塔を発見した。

1960年5月23日04:11に南米チリ共和国でM9.5の地震が発生し、それに伴い発生した津波が1日近くかかって日本に押し寄せた。
津波の波高は最大6.3mで三陸地方沿岸で142名の犠牲者を出した。

このサイレン塔は、その津波を記念して建てられたもの。
当時の記録では、女川湾での波高が3.8~5.4mだったから、この地域にもそれに近い津波が押し寄せたと思われる。
人々はその教訓を生かして、なぜ高台に住まなかったのか、今更ながら悔やまれる。





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