旅行、トレッキング、登山、園芸、ボランティアなどでスローライフをおくる。 一年の内、半分を日本で、残り半分をニュージーランド(NZ)で過ごしていた頃始めたブログです。 うはらの郷とは、古くは芦屋市から神戸市東灘区周辺(説では夙川から旧生田川まで)を莵原と呼ばれていたことに由来します。
2018年12月29日土曜日
Tramping リトルトン港~ゴンドラ下駅
今日は曇り空。
天気は午後から回復する予報だったので、それを信じて、バスでリトルトン港に向かう。
バスに乗った時、年配の男性(東洋人)がジッと見つめており、目礼だけ交わす。
中国人、韓国人は目礼などしないので、日本人だろうと思っていたら、その男性から日本語で話しかけられた。
ニュージーランドに始めて来たとのこと。
今朝空港に着いたばかりで、今日はクライストチャーチ市内をぶらつく予定らしい。
旅慣れた人で、一人旅で世界を回っているらしく、8月はスペイン(主にバルセロナ)だったと言っていた。
我々は、6月だったので、話が盛り上がる。
バス・インターチェンジで別れ、リトルトン港に9時過ぎ到着。
ここから峠(サミット・ロード)越ルートが3本ある。
東ルート、中央ルート、西ルートだが、東と中央は既に歩いたので、今回は西ルートで峠越する。
西ルートは道幅が狭い。階段などもある。
英国人の入植時(1850年代)、荷車を押して上がった歴史街道は道幅の広い中央ルートだと分かる。
1時間で峠(サミット・ロード)着。
リトルトン港が一望できる。
昼食の後、クライストチャーチ側に下るが、峠からは歴史街道を下る。
入植者の気持ちを偲びながら下る。
案内板の写真は入植後約30年(約1880年)のもの。
既に、平野部の農地は区画され、斜面地は牧場となっている。
更に、ゴンドラ下駅周辺に集落が出来、住宅も写っている。
現在と比べてみると面白い。
この歴史街道(Bridle Path)を、前半(リトルトン側)と後半(クライストチャーチ側:今日)に分け歩いたが、何れも急勾配で当時の人達(入植者)の苦労がしのばれる。
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